Ham's Life 4186

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スカイプとプライバシー

Tapur0.930版をリリースしました。
前回のリリースから2ヶ月以上経ってしまいました。
今回、見た目はほとんど一緒ですが、内部的には音声処理にかなり手を入れました。
もともと留守版電話を想定していたため、前バージョンでは長時間録音・再生が重く不安定でした(要するに先見性がなかった・・・)。
これをストレスなく行えるように書き換えました。
スカイプの通話を録音してPODCASTされる方も多いようですし、そうした用途に使えれば、と思います。音声メモとしても使えますね。

で、本題です。
このようなソフトウェアを開発していると、プライバシーの問題は避けられません。
スカイプ上で会話を行い、それを録音した場合、その音声ファイルは誰のものか、というと、音声ファイルそのものは録音した人のものかもしれませんが、そこに記録されたデータは、やはりその声を発した人のものだと思います。法律的な判断を持ち出すまでもなく、「私の声は私のもの」「私の顔は私のもの」(ビデオの場合)と、直感的に誰もが思うはずです。
ですから、その声の持ち主に許可なく、その人の声をポッドキャスト等で公開するのは、プライバシーに反するように思います。

Tapurのような録音ツールも、そのような常識的な判断を踏まえて使って欲しいと思いますが、現状では相手に内緒で録音を行い、勝手に公開することも可能です。
録音開始の通知を強制的に相手に発信する機能を付ければ、抑止効果はあるでしょう。
実際、以降のバージョンでこの機能の組み込みを検討しています。
しかし、録音開始の通知が来たりすると、何だか身構えてしまうし、窮屈ですよね。

通常誰かがナイフを使って殺人を犯した場合、裁かれるのはその人であって、ナイフメーカが裁かれることはありません。しかし誰かが銃を使って殺人を犯した場合、その人が裁かれるのは当然として、最近では銃メーカも責任を問われつつあります。
殺人は極端な例ですが、P2Pネットワークが不正な音楽ファイル交換の責任を問われているのは、今後は悪用されたツールがその犯罪について必ずしも免責されない可能性があることを示唆しています。
録音ツールによる音声の公開が重大な名誉毀損や情報漏えいに繋がることはありえます。
そのような事態を想定して、ツールの開発者はツールに予防的な機能を付けることが望ましいのでしょう。
ただ、何だか釈然としないのも事実です。
「のび太のものはのび太のもの」であり、やっぱりジャイアンのものではない、という常識的な判断を誰もが持てれば、あらゆることがもっとシンプルになるのに。


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「集中」と「分散」はあざなえる縄の如し

前回の更新から1ヶ月近く経ってしまった。世の中には毎日更新を心がけている人もいるというのに、大変なていたらくである。
まあ、Tapurの開発裏話的なページだから、それでもいいだろう。(そのわりには、Tapurに関することはほとんど書いてないが・・・)

TapurはSkypeの連携アプリなので、最近は必然的にP2Pに対する関心が強くなった。
技術的に興味深いということ以外に、コンピュータネットワークの進化の歴史に思いを馳せると非常に感慨深いものがあるのだ。
これは、ある程度の長い期間コンピュータシステムの開発に携わってきた者なら、皆一様に感じることではないだろうか。
つまり「分散」環境の復権である。
P2Pはコンピュータネットワークの形式でいえば、最新の分散環境ということになる。

復権というとやや御幣がある。
「分散」に対して「集中」環境があるが、両者は常にコンピュータネットワークの形態として存在し、相互に影響を与え合いながらそれぞれが異なった形で進化してきた。
というわけで。今回はコンピュータネットワークの「集中」と「分散」の歴史をたどってみよう。(タイトルは手塚治の「火の鳥」風に付けてみた)

(1)黎明編
まず、黎明期の最初期のコンピュータだが、これには集中も分散もない。複雑で高価な1個の機械であり、その場で機械を操作し、その場で計算結果を得るだけだ。
日本の歴史でいえば、先史時代の狩猟採集生活の頃だ。

(2)邪馬台編
しかし、コンピュータの性能が上がると、高価な機械を有効活用するために、入出力端末を分離して、1台のコンピュータに多数の端末を接続しよう、ということになった。端末は入出力しか行わず、計算はすべて中心にあるコンピュータで行うのだ。
日本の歴史でいえば、農業が始まり卑弥呼のような権力者が登場した頃だ。

(3)大和編
集中環境の全盛期が到来。スパコンに始まり、フレームワーク、オフコン、と形態と価格は異なるが、ホストと端末の集中環境が続く。
しかし、ホストのダウンサイジング(高機能化と低価格化、といっても個人で買えるレベルではないが)により、王国の繁栄にも陰りは見えてきた。
ワークステーションの登場あたりから、やや怪しくなってくる。ワークステーションもX端末を接続して使用するのが普通だが、CGなど負荷の高い目的によっては単独で使用することもあった。
日本の歴史でいえば、大和朝廷の登場あたり、中央集権的な律令制度を確立した朝廷だが、やがて実権は貴族階級に移行していまう。しかし、天皇制が継続しているように、スパコンのスペック競争など、今でも一定の役割は担っているのだ。

(3)鎌倉・室町編
ワークステーションによる分散環境の登場。しかし、それはメジャーにはならなかった。
PCの登場でいよいよ本格的な分散環境が始まる。PCの性能が上がるにつれ、PC端末で行う作業が増えていき、ついにはサーバはデータの置き場所レベルになってしまった。
クライアント/サーバとして「集中」的な要素は残しつつも、コンピュータ処理のほとんどはPC上で行われた。
鎌倉時代から始まる武士の時代は、幕府という中央がありつつも、地方の有力者による一種の連邦制であった。貴族(サーバ)の手下であった武士(クライアントPC)が実権を握るあたり、PCの時代にふさわしい。

(4)戦国編
しかし、天下統一へ向けて新しい世代の「集中」環境が登場する。
それはインターネットである。
世界レベルのコンピュータネットワークにおいては、回線の細さがネックとなりPCの性能はあまり意味をなさなかった。そのため、インターネットサーバによる「集中」処理が復権する。広く薄いサービスを提供するインターネットベースのビジネスモデルの登場も、これを後押しした。
いまや何でもかんでもWEBアプリという時代である。
徳川幕府のように、インターネットサーバにより天下は統一された。

(5)幕末編
ブロードバンドの登場により、PCの性能の高さがまた意味を持つようになってきた。インターネット上においても、「分散」環境の構築が可能になってきたのである。それがP2Pである。
またインターネットサーバが提供するサービスを相互に利用しあうWEBサービスも一種の分散処理と言えよう。
果たして、P2Pは維新の志士のようにWEBの時代を乗り越えることができるのか・・・


実際には分散環境と集中環境は組み合わせて使われることがほとんどで、単純な対立の構造ではない。たいがいの場合、その時代の課題(コスト、保守、操作性、など)を解決するために便利な方式が優勢になるだけだ。
両者は対立したり融合したりしながら、お互いを必要としつつ進化していくのだ。
まさに「あざなえる縄の如し」である。


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