Ham's Life 4186

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動物は何を考えているか

「動物は何を考えているか」(ドナルド・R. グリフィン (著), 渡辺 政隆 (翻訳))

1989年の著作なので、ちょっと古い。
動物に意識はあるか、といったテーマに取り組んだ本だ。
ペットを飼ったことがある人はもちろん、そうでない人も、動物に意識がないなどと思う人は、今や少数派であろう。

しかし科学的に検証しようとなると、やや面倒になる。
人間に対してさえ、自分以外の他者が心を持っていることを証明することは難しい。
20世紀の科学の基本的なスタンスは、証明できないことは「NO」なので、動物に意識がないとする思想がはびこったことはやむを得ない点もある。
しかし、他者が心を持っていることを証明しづらいのは、人間(の頭脳)が持つ論理的思考の限界を示しているだけで、他者に当然心があるように、動物にも心はあるのだ。
この本は、証明はできないながらも有力な証拠をかき集めることにより、動物に意識があることのリアリティを示そうとしている。

しかし私は科学者ではないので、哺乳類に意識があるかどうかなどは自明のことに思え、ちょっと退屈だった。
興味を持ったのは次の2点。

① 鳥はかなり賢い(種類によるが)
② 社会性昆虫(アリやハチ)も意識を持っているかもしれない

鳥はたいがい頭が小さく、無表情な目つきをしているのでお馬鹿そうに見えるが、カラスやハトなど、かなり賢いようだ。
昆虫については、神経系の小ささから意識があるとはとても思えないが、それは人間の複雑な意識を基準に考えるからで、単純な意識も有りえる、ということだ。
つまり、300万画素の画像と300画素の画像のようなものだろうか。画素が違っても、表現力が違っているだけで、対象を描いていることに変わりはない。
人間の意識も複雑なようでいて、実際に複雑なのは情報処理の量だけで、行動の動機となる欲求は案外単純な気がする。

動物に限らず、他者の心の存在証明が難しいのは、その行動(言葉も含む)によってしか判断できないからだ。
現代では、動物や人間のような反応を示すコンピュータ(あるいはプログラム)を作成することができる。
動物に心があるならば、動物と全く同じ行動を示すコンピュータがあれば、それにも心があるはずだ、という議論が成り立つ。

私は科学者ではないので、論理的な思考も直感的な感覚も両方大事だと思う。
だから、動物には心があり、コンピュータには心はない。
このような議論には「心」や「意識」をどのように定義するかという前提が必要だが、その前提自体が曖昧なのは認めよう。しかし、動物には心がないとか、コンピュータに心がある、という人は、直感と論理のバランスが崩れているのだと思う。

一つ日ごろから不思議な、というか疑問な点がある。
それは、ペットやイルカに心の存在を認める人が大多数であるというのに、食用の牛や豚や鳥の心の存在に人々が無頓着に見える、ということだ。

生きていくためには仕方がないという人もいるが、植物性蛋白質で代用しても人は生きていける。
それでは、人類は皆ベジタリアンになるべきだろうか。
食肉の歴史や料理法は、屠殺の残酷さと比べたら、とるに足らない文化なのだろうか。

私はと言えば、今後も美味しいお肉を食べていくだろう。
できることなら、食べられていく彼らは工場に閉じ込められたブロイラではなく、多少なりとも生き生きとした時間を過ごしてきたことを望むだろう。
失われた命ができるだけ無駄にならずに消費され、食べた人に感謝されることを望むだろう。
我々が奴隷制度を過去の悪しき習慣として思い出すように、現代の習慣が遠い未来では野蛮な過去として思い出されるように。



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